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和田守弘の言葉

「お前は真に自分のつくりたいものを、つくっているか?」という言葉を 我に問いかけて、日常可能な限り途絶えることのない様、表現営為を完遂 しようと努力する現在である。状況にこだわる暇があれば、自分自身にこ だわる事をこそ、持続実践してゆかねばと、考える今日この頃である。
                                                展覧会コメント エディシオン〈象〉第2号より抜粋 (1980年)
 


私が創る表基体とは、自然と対話をする横断的な出来事である 。
                                                                                                    島田画廊個展によせて(1989年)
 


 繰り返し再撮を行うということは、ヴィデオメディアを使って自分自身を 介在させてパフォーマンスをしていることになる。私はこの方法がとても 気に入っている。
                                                                 ビクタービデオ奨励制度レポートより抜粋(1985年)


 

ビデオというメディアはその当時としては人間のもっている認知構造に 非常に良く似ていた。ビデオカメラの眼を通して認識された世界がテー プに録画されて、またフィードバックして戻ってくるという「クローズ ドサーキット」の構造自体が、人間の思考回路と似ていた。

                                        「Bゼミ」新しい表現の学習の歴史1967ー2004 より抜粋 (2005年)

ヴィデオが、新しいから可能性があるとか、美術の文脈の中で新たな地 平を切り開いて行くから、という意味で表現の中に組み込んだのではな い。なぜなら今までの表現の中ではヴィデオが主役を演じているのではな く、あくまでも一部分として表現思考の回路として介在している。これか らの表現の中でヴィデオが介在しなくなったとしても、思考回路の中には、 その意味は存続していくのだ。

                                                                                           展覧会コメント 美術手帖 1979年6月号

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《認識に於ける方法序説 SELF・MUSICAL》の為のメモ 1973年

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表基(実体鏡としての用在)―表述№Ⅶ(applicationあるいはmimesisを背景として) のためのプラン・メモ 1976年

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表述№Ⅴ―繰り返される日常からの導出から導出へ(applicationあるいはmimesisを背景として)

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ヴィデオは用在、つまりものとして認識するもの存在理由を語るものではなく、用いる時に発する問題のあり方によって、存在の意味を用いる物である。
(制作ノートより)

言語表現は一つのアプローチであって真理ではない。しかし真理に近づくことは出来る。(制作ノートより)

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表現とは?自己を内在させるとは?
(制作ノートより)

イメージを本質的に考察していくならば、そこにはおのずと時間に関する問題が大きな役割を持っていることに気付くであろう。ヴィデオの重要な問題もそこにある。(制作ノートより)

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作品は思考のモデリングに終わってはならない。
(制作ノートより)

ヴィデオの於けるささやかな考察は、

芸術においていかなる問題提起となすか。
(制作ノートより)

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僕自身、自分の世界というものが内部にあるというのではなく、外界に広がっていくことによって僕という個を客観化していっているように想定されるのである。

ここのところ仕事が回帰しているけれども、この理由については取り立てて意味はない。但しいえることは自分自身が起こしてしまった流れに対して常に循環を繰り返すこと。つまり、自分の周期によって常に運動をあたえてゆかなけらばならないとおもうからにほかならない。
(制作ノートより)

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ヴィデオを空間認識の一部としての機能 を内包させ、露呈させること。

(制作ノートより)

私が見る、私は見られる、私はかつて見た、私は見ようとしている。自己認識を感知すること。

(制作ノートより)

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